2018年03月12日
しずおか名所めぐり①~⑫ たたらなおき ポエム/造形
【しずおか名所めぐり①~⑫】
静岡商工会議所の広報誌「Sing」の平成29年度の表紙は、
静岡市の名所を、
たたらなおきさんに造形していただきました。
1年間に紹介した「しずおか名所めぐり」12景をご覧ください。
「お浅間さん」
祭り囃子に 誘われて そぞろ歩く 商店街
赤鳥居に 吸い込まれ 目に鮮やかな 賤機山
ぐるりと囲む 緑青の 屋根に舞い散る 花びらは
昔も今も変わりなく ふるさと駿河に 春告げる
(説明)
「お浅間さん」と呼ばれる静岡浅間神社は、
長谷通りに面した石鳥居側に神部・浅間の両神社、
浅間通りに面した赤鳥居側に大歳御祖神社を祀っています。
神部神社は駿河国惣社として、
浅間神社は富士山本宮浅間大社の新宮として、
大歳御祖神社は安倍の市の守護神として、
古くから人々の崇敬を集めてきました。
現在の社殿群は、
徳川幕府が文化元年(1804)から60年余をかけて再建したもの。
百段階段を登ると、
左手に6世紀の豪族の墓「賤機山古墳」があり、
右手に進むと、
麓山神社、
静岡市戦禍犠牲者慰霊塔を経て、
今川氏の賤機山城跡に至ります。
「廿日会祭」は毎年4月1日~5日に行われ、
静岡浅間通り商店街(宮ヶ崎町~馬場町)は、
多くの人々で賑わいます。
「聖一国師と奥藁科」
栃沢生まれの とんち小僧
海を渡って 智恵を積み
祖国に運んだ 手土産は
数えきれない星ほどに
藁科川の 砂ほどに
その手に握った 一粒の
たったひとつの 茶の種を
蒔けば 駿河が 鮮やかな
香り豊かな 茶の国に
それが聖一国師さま
(説明)
聖一国師は、
お茶が静岡の産物として世に出る
原点となった人物です。
実家は、静岡市葵区栃沢の米沢家です。
僧になってから栃沢に帰ったのは、
宋に渡る前と
帰国して茶種を届けた時の2回です。
母のもとに茶種を持ち込んだのは
帰国3年後の1244年、43歳の時。
竹筒の節の間に隠して運んできた茶種を、
まず足久保で自ら蒔き、
栃沢で母に渡し、
「栃沢の地は、
藁科川の水のおかげで霧が出て
径山・萬寿寺の気候に似ています。
良いお茶が育つはずですから、
お茶を飲んで長生きしてください」
と伝えたそうです。
安倍川・藁科川流域では香り豊かな本山茶が栽培されており、
国師の威徳を称え、故郷・栃沢と足久保に石碑が建てられました。
2017年5月21日には京都の東福寺で
「第1回 聖一国師まつり」を開催しました。
「谷津山と東静岡駅周辺」
東西つなぐ 大動脈
絶えず行き交う 東海道
こだまのような スピードで
ひと もの ことを 運び行き
ひかりのような スピードで
あっという間に 過ぎる時
春の山の 筍のように
競って伸びる 高層ビル
春に目覚めた森のように
花咲き誇る 若い街
変わり続ける 人の営み
遠い過去から 変わらない山
(説明)
JR静岡駅周辺から清水方面を眺めると、
谷津山の南側に
東西を結ぶ静岡鉄道、
国道1号、
東海道本線・新幹線が
通っている景観が見えます。
山頂には4世紀に造られた前方後円墳、
周囲には多くの寺社があります。
西側には今川義元公の母・寿桂尼が創建した清水寺があり、
周囲に静岡県第1号公園「清水山公園」が1909年に開設。
南側には明治維新以来、
国事にたおれた静岡県出身者並びに縁故ある方々を祀る
靜岡縣護國神社が1942年に移転。
旧国鉄跡地では、
1998年にJR東静岡駅と
静岡県コンベンションアーツセンター「グランシップ」、
2003年にドコモ静岡ビル、
2013年に南北を結ぶ東静岡大橋と
商業施設「マークイズ静岡」が開業するなど、
新しいまちづくりが進んでいます。
「日本平と清水エスパルス」
日本平の 丘に立ち
草薙の剣 振りかざし
燃える炎を なぎ倒す
ヤマトタケルの 末裔が
並み居る敵を なぎ倒し
くり出すシュートは 炎となり
ゴールネットを 突き破る
エスパルスのSは サッカーのS
エスパルスのSは 清水のS
エスパルスのSは 静岡のS
(説明)
日本平は、日本武尊が東征の際、
四方を眺めたと伝わる丘。
富士山を望む眺望の素晴らしさから
「日本観光地百選平原の部」第1位に選出。
2012年に新しい日本平ホテルが開業。
2016年には「日本夜景遺産」に認定。
今後、展望台などの整備を予定。
清水日本平運動公園球技場は、
1991年に「サッカーのまち清水」のシンボルとして完成し
全国高等学校総合体育大会サッカー競技の
メイン会場に使用されました。
1992年からJリーグ「清水エスパルス」のホームスタジアムとなり、
1995年に2万余人の球技場に改修。
ネーミングライツパートナーを公募し、
2013年から「IAIスタジアム日本平」と定められました。
「御幸通りと高層ビル群」
変わっていくもの 変わらぬもの
流れて行く人 とどまる人
すべてを包む ビル風が
ここは 駿府の ど真ん中
はるか昔の 殿様が
住むにゃあ とっても よい地じゃと
でっかいお城を おっ建てた
ここは 駿府の ど真ん中
おっとり静かで 穏やかな
静岡人が 集まれば
熱き血潮の 風が吹く
ここは 駿府の ど真ん中
(説明)
昭和5年(1930)、昭和天皇の行幸にあわせて
静岡駅から静岡御用邸(現・静岡市役所静岡庁舎新館)まで
直線道路を造り、御幸通りと名付けました。
昭和7年、御用邸敷地が静岡市に払い下げられると、
御幸通りを拡張し、
昭和9年にはスペイン風の美しいドームをもつ静岡市庁舎、
昭和12年には静岡県庁を竣工。
静岡市のメインストリートとしての風格を備えていきました。
高度経済成長期の1966年に新静岡センターと電電ビル、
1970年に県庁東館を竣工。
その後、市街地再開発事業を進め、
1987年に市役所新館、1996年に県庁別館、
2004年にペガサート、2010年に葵タワー、2011年に新静岡セノバを竣工。
「安倍川の恵み」
泳ぎにいこう 大浜へ
あそびにいこう 広野公園
体験しよう 登呂遺跡
ここは駿河区 よいところ
浜の潮風 受けながら
安倍川の恵み 受けながら
(説明)
安倍川は、静岡市と山梨県との境にある安倍峠南斜面に源を発し、
駿河湾に注ぐ一級河川。
糸魚川-静岡構造線がその東側をほぼ並行して南北に走ります。
その流れは、静岡市街の扇状地平野を形成し、
安倍川河口から運ばれた砂礫は三保半島を形成しました。
川の西側には用宗漁港があり、シラス漁がさかんです。
海賊船の遊具がある広野海岸公園も整備されました。
東側では登呂遺跡が1943年に発見され、
1世紀ごろから人々が住んでいたことが分かりました。
1969年には、東名高速道路が開通し、
静岡インターチェンジが設けられました。
大浜海岸は大浜公園プールで賑わい、
風力発電施設「風電君」はランドマークになっています。
「安倍奥の紅葉」
大谷崩れの 一滴が
流れ流れて 刻む谷
森を畑を 潤して
山の恵みを ふもとまで
豊かに運ぶ 長い旅
わが静岡の 源は
今も昔も 安倍奥に
(説明)
安倍川の源にある大谷崩は、
1707年の宝永地震で標高2000mの大谷嶺から
800m崩れたもので、
日本三大崩れのひとつに数えられています。
赤水の滝は、大谷崩が安倍川を堰き止めてできた滝で、
崩落当時、赤く染まった水を流し続けたことから、
この名がつきました。
梅ヶ島温泉は、武田信玄の時代に
神経痛や創傷に効く湯治場として知られるようになりました。
ワサビは、有東木沢の源流に自生していたものを
江戸初期に有東木村の湧水地で栽培し、
徳川家康公に献上したところ、その味を絶賛され、
門外不出の扱いとされました。
紅葉は例年、10月下旬から高い山々が色づきはじめ、
11月上旬~中旬に安倍奥の見頃が訪れます。
「青葉シンボルロード」
青葉繁れる 夏の日に
涼を求めて 来る人を
癒す 水のモニュメント
赤や黄色の 葉の下で
繰り広げられる芸の数々に
笑顔と拍手が わき上がる
葉っぱを脱いだ 木々たちを
装う 冬のイルミネーション
春でなくとも あたたまる
四季折々の 青葉通り
(説明)
静岡市役所静岡庁舎前から常磐公園までを結ぶ
幅18m、長さ520mの緑地帯で、
様々なイベントに対応できる空間として
1992年3月に整備されました。
光・イベント・安らぎ・水の各ゾーンがあり、
噴水「天使の虹の階段」、
彫刻「出会い」、
噴水「ZEN」、
噴水「ガラスの夢」、
池「水辺の遊び」、
彫刻「風を泳ぐ」という
ユニークなモニュメントと、
車椅子対応トイレが配置されています。
「大道芸ワールドカップ」をはじめ
各種のイベントが開催され、
多くの人々でにぎわいます。
毎年11月上旬から2月中旬までは
I Loveしずおか協議会による
「イルミネーション」が毎夜点灯し、
街角緑地を暖かく華やかに照らし出します。
「三保松原と清水港」
駿河の海の 潮風に
吹かれ 誘われ 来るものは
衣ひらひら 舞う天女
オレンジ色の サポーター
海を渡って 大型船
ひょいと顔出す 富士の山
ぶらっと行かざあ 清水港
(説明)
羽衣伝説で名高い羽衣の松を中心に、
美しい富士山を眺望できる景勝地「三保松原」は2013年、
「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産のひとつとして
「世界文化遺産」に登録。
「清水港」は、三保半島を天然の防波堤として古来より栄えてきた良港。
1899年に開港場、1952年に特定重要港湾に指定。
1999年には開港100周年を記念して、
マリンターミナル、
マリンパーク、
エスパルスドリームプラザを整備し、
2002年からは西伊豆の土肥港まで駿河湾フェリーを運航。
1990年に客船誘致委員会を設立して
誘致活動に取り組んだ結果、
2017年度は36隻の客船の寄港が予定されています。
「久能山東照宮といちご海岸通り」
石の階段(きざはし) 幾曲がり(いくまがり)
阻路(そばぢ)もかすむ 久能山
駿河の海を 見下ろして
英雄ここに 眠るかや
工(たくみ)凝らせる 鑿(のみ)の跡
眩き宮(まばゆきみやい) 日に映えて
葵の紋の 輝ける
甍(いらか)ぞ見ゆる 木(こ)がくれに
静岡県郷土歌集(昭和20年 静岡県教育会)より
(説明)
有度山の一峰、久能山の山頂には、
天台宗寺院「補陀落山久能寺」がありました。
1568年に駿河へ侵攻した武田信玄は
久能寺を移転させて(現・鉄舟寺)、山城を築きました。
1582年、久能山は徳川家康公の手に。
家康公は亡くなる直前、家臣たちに
「遺骸は久能山に埋葬すること」を遺命として託されました。
久能山東照宮の壮麗な社殿は、
中井大和守正清が造営し、
2010年に本殿・石の間・拝殿が国宝に指定。
1896年、川島常吉氏は、
松平健雄宮司から託された苺苗を玉石の間に植え、
石の輻射熱で苺を栽培することに成功。
国道150号「いちご海岸通り」沿いの苺農園は1月~5月、
苺狩りを楽しむ人々で賑わいます。
「丸子の春」
安倍川越えて わけ入れば
ぽつぽつ光る 梅の花
宇津の山辺の うつつにも
夢にも落ちる 日の光
客引きに袖 掴まれて
お茶の香りと 十団子
しょせんしがない 膝栗毛
今宵は丸子で 草枕
(説明)
丸子は、古くからの宿場で、
家康公が改めて宿場を設置すると、
日本橋から20番目の宿場となりました。
丁子屋の創業は1596年。
庶民が旅に出かけるようになった元禄以降、
松尾芭蕉の俳句、
十返舎一九の本、
歌川広重の浮世絵などで
「名物とろろ汁」は広く知られました。
吐月峰柴屋寺は、
今川氏に仕えた連歌師・宗長ゆかりの寺で、
風雅な庭園は国の名勝と史跡に指定。
丸子宿と岡部宿の間に位置する宇津ノ谷峠は、
東海道の難所のひとつで
「伊勢物語」に描かれて歌枕となりました。
レンガ造の明治トンネルは、
国の登録有形文化財。
駿府匠宿は、
静岡の伝統工芸を体験できる施設として
1999年にオープンしました。
「有度の丘」
レッサーパンダに迎えられ
はしゃぐロッシーに一目ぼれ
動物園のはしっこの
洋館のベンチで一休み
ロダンの前で考えて
キャンパスで昔を振り返る
ここは草薙 赤い靴の
あの子も産まれた有度の丘
老いも若きも肉体の
極みに挑む情熱の
汗が染みこむスタジアム
ベーブルースの胸元に
沢村栄治の速球が
今もこだます野球場
ここは草薙 いにしえの
ヤマトタケルの血が騒ぐ
(説明)
有度は、古くからの歴史と
日本武尊にまつわる数々の伝説をもっています。
静岡電気鉄道(現在の静岡鉄道)は沿線開発に力を注ぎ、
1927年に狐ヶ崎遊園地、
1930年に静岡野球場をオープン。
静岡県は、
1957年に国民体育大会の開催が決定すると、
メインスタジアムとして草薙総合運動場を整備。
さらに1970年に静岡県立中央図書館を谷田に移転し、
1986年に隣接地に静岡県立美術館を開館、
1987年に静岡県立大学を開校。
最近では2013年に硬式野球場を改修し、
2015年に新体育館をオープン。
静岡市も1969年に日本平動物園を開園するなど、
文化とスポーツの拠点として、
内外から多くの人々が訪れています。
ポエム・造形:たたらなおきさん
https://www.facebook.com/naoki.tatara.5
写真撮影:榊原幸弘さん ㈲サイズ 代表取締役
http://psys-d.com/
静岡商工会議所の広報誌「Sing」の平成29年度の表紙は、
静岡市の名所を、
たたらなおきさんに造形していただきました。
1年間に紹介した「しずおか名所めぐり」12景をご覧ください。
「お浅間さん」
祭り囃子に 誘われて そぞろ歩く 商店街
赤鳥居に 吸い込まれ 目に鮮やかな 賤機山
ぐるりと囲む 緑青の 屋根に舞い散る 花びらは
昔も今も変わりなく ふるさと駿河に 春告げる
(説明)
「お浅間さん」と呼ばれる静岡浅間神社は、
長谷通りに面した石鳥居側に神部・浅間の両神社、
浅間通りに面した赤鳥居側に大歳御祖神社を祀っています。
神部神社は駿河国惣社として、
浅間神社は富士山本宮浅間大社の新宮として、
大歳御祖神社は安倍の市の守護神として、
古くから人々の崇敬を集めてきました。
現在の社殿群は、
徳川幕府が文化元年(1804)から60年余をかけて再建したもの。
百段階段を登ると、
左手に6世紀の豪族の墓「賤機山古墳」があり、
右手に進むと、
麓山神社、
静岡市戦禍犠牲者慰霊塔を経て、
今川氏の賤機山城跡に至ります。
「廿日会祭」は毎年4月1日~5日に行われ、
静岡浅間通り商店街(宮ヶ崎町~馬場町)は、
多くの人々で賑わいます。
「聖一国師と奥藁科」
栃沢生まれの とんち小僧
海を渡って 智恵を積み
祖国に運んだ 手土産は
数えきれない星ほどに
藁科川の 砂ほどに
その手に握った 一粒の
たったひとつの 茶の種を
蒔けば 駿河が 鮮やかな
香り豊かな 茶の国に
それが聖一国師さま
(説明)
聖一国師は、
お茶が静岡の産物として世に出る
原点となった人物です。
実家は、静岡市葵区栃沢の米沢家です。
僧になってから栃沢に帰ったのは、
宋に渡る前と
帰国して茶種を届けた時の2回です。
母のもとに茶種を持ち込んだのは
帰国3年後の1244年、43歳の時。
竹筒の節の間に隠して運んできた茶種を、
まず足久保で自ら蒔き、
栃沢で母に渡し、
「栃沢の地は、
藁科川の水のおかげで霧が出て
径山・萬寿寺の気候に似ています。
良いお茶が育つはずですから、
お茶を飲んで長生きしてください」
と伝えたそうです。
安倍川・藁科川流域では香り豊かな本山茶が栽培されており、
国師の威徳を称え、故郷・栃沢と足久保に石碑が建てられました。
2017年5月21日には京都の東福寺で
「第1回 聖一国師まつり」を開催しました。
「谷津山と東静岡駅周辺」
東西つなぐ 大動脈
絶えず行き交う 東海道
こだまのような スピードで
ひと もの ことを 運び行き
ひかりのような スピードで
あっという間に 過ぎる時
春の山の 筍のように
競って伸びる 高層ビル
春に目覚めた森のように
花咲き誇る 若い街
変わり続ける 人の営み
遠い過去から 変わらない山
(説明)
JR静岡駅周辺から清水方面を眺めると、
谷津山の南側に
東西を結ぶ静岡鉄道、
国道1号、
東海道本線・新幹線が
通っている景観が見えます。
山頂には4世紀に造られた前方後円墳、
周囲には多くの寺社があります。
西側には今川義元公の母・寿桂尼が創建した清水寺があり、
周囲に静岡県第1号公園「清水山公園」が1909年に開設。
南側には明治維新以来、
国事にたおれた静岡県出身者並びに縁故ある方々を祀る
靜岡縣護國神社が1942年に移転。
旧国鉄跡地では、
1998年にJR東静岡駅と
静岡県コンベンションアーツセンター「グランシップ」、
2003年にドコモ静岡ビル、
2013年に南北を結ぶ東静岡大橋と
商業施設「マークイズ静岡」が開業するなど、
新しいまちづくりが進んでいます。
「日本平と清水エスパルス」
日本平の 丘に立ち
草薙の剣 振りかざし
燃える炎を なぎ倒す
ヤマトタケルの 末裔が
並み居る敵を なぎ倒し
くり出すシュートは 炎となり
ゴールネットを 突き破る
エスパルスのSは サッカーのS
エスパルスのSは 清水のS
エスパルスのSは 静岡のS
(説明)
日本平は、日本武尊が東征の際、
四方を眺めたと伝わる丘。
富士山を望む眺望の素晴らしさから
「日本観光地百選平原の部」第1位に選出。
2012年に新しい日本平ホテルが開業。
2016年には「日本夜景遺産」に認定。
今後、展望台などの整備を予定。
清水日本平運動公園球技場は、
1991年に「サッカーのまち清水」のシンボルとして完成し
全国高等学校総合体育大会サッカー競技の
メイン会場に使用されました。
1992年からJリーグ「清水エスパルス」のホームスタジアムとなり、
1995年に2万余人の球技場に改修。
ネーミングライツパートナーを公募し、
2013年から「IAIスタジアム日本平」と定められました。
「御幸通りと高層ビル群」
変わっていくもの 変わらぬもの
流れて行く人 とどまる人
すべてを包む ビル風が
ここは 駿府の ど真ん中
はるか昔の 殿様が
住むにゃあ とっても よい地じゃと
でっかいお城を おっ建てた
ここは 駿府の ど真ん中
おっとり静かで 穏やかな
静岡人が 集まれば
熱き血潮の 風が吹く
ここは 駿府の ど真ん中
(説明)
昭和5年(1930)、昭和天皇の行幸にあわせて
静岡駅から静岡御用邸(現・静岡市役所静岡庁舎新館)まで
直線道路を造り、御幸通りと名付けました。
昭和7年、御用邸敷地が静岡市に払い下げられると、
御幸通りを拡張し、
昭和9年にはスペイン風の美しいドームをもつ静岡市庁舎、
昭和12年には静岡県庁を竣工。
静岡市のメインストリートとしての風格を備えていきました。
高度経済成長期の1966年に新静岡センターと電電ビル、
1970年に県庁東館を竣工。
その後、市街地再開発事業を進め、
1987年に市役所新館、1996年に県庁別館、
2004年にペガサート、2010年に葵タワー、2011年に新静岡セノバを竣工。
「安倍川の恵み」
泳ぎにいこう 大浜へ
あそびにいこう 広野公園
体験しよう 登呂遺跡
ここは駿河区 よいところ
浜の潮風 受けながら
安倍川の恵み 受けながら
(説明)
安倍川は、静岡市と山梨県との境にある安倍峠南斜面に源を発し、
駿河湾に注ぐ一級河川。
糸魚川-静岡構造線がその東側をほぼ並行して南北に走ります。
その流れは、静岡市街の扇状地平野を形成し、
安倍川河口から運ばれた砂礫は三保半島を形成しました。
川の西側には用宗漁港があり、シラス漁がさかんです。
海賊船の遊具がある広野海岸公園も整備されました。
東側では登呂遺跡が1943年に発見され、
1世紀ごろから人々が住んでいたことが分かりました。
1969年には、東名高速道路が開通し、
静岡インターチェンジが設けられました。
大浜海岸は大浜公園プールで賑わい、
風力発電施設「風電君」はランドマークになっています。
「安倍奥の紅葉」
大谷崩れの 一滴が
流れ流れて 刻む谷
森を畑を 潤して
山の恵みを ふもとまで
豊かに運ぶ 長い旅
わが静岡の 源は
今も昔も 安倍奥に
(説明)
安倍川の源にある大谷崩は、
1707年の宝永地震で標高2000mの大谷嶺から
800m崩れたもので、
日本三大崩れのひとつに数えられています。
赤水の滝は、大谷崩が安倍川を堰き止めてできた滝で、
崩落当時、赤く染まった水を流し続けたことから、
この名がつきました。
梅ヶ島温泉は、武田信玄の時代に
神経痛や創傷に効く湯治場として知られるようになりました。
ワサビは、有東木沢の源流に自生していたものを
江戸初期に有東木村の湧水地で栽培し、
徳川家康公に献上したところ、その味を絶賛され、
門外不出の扱いとされました。
紅葉は例年、10月下旬から高い山々が色づきはじめ、
11月上旬~中旬に安倍奥の見頃が訪れます。
「青葉シンボルロード」
青葉繁れる 夏の日に
涼を求めて 来る人を
癒す 水のモニュメント
赤や黄色の 葉の下で
繰り広げられる芸の数々に
笑顔と拍手が わき上がる
葉っぱを脱いだ 木々たちを
装う 冬のイルミネーション
春でなくとも あたたまる
四季折々の 青葉通り
(説明)
静岡市役所静岡庁舎前から常磐公園までを結ぶ
幅18m、長さ520mの緑地帯で、
様々なイベントに対応できる空間として
1992年3月に整備されました。
光・イベント・安らぎ・水の各ゾーンがあり、
噴水「天使の虹の階段」、
彫刻「出会い」、
噴水「ZEN」、
噴水「ガラスの夢」、
池「水辺の遊び」、
彫刻「風を泳ぐ」という
ユニークなモニュメントと、
車椅子対応トイレが配置されています。
「大道芸ワールドカップ」をはじめ
各種のイベントが開催され、
多くの人々でにぎわいます。
毎年11月上旬から2月中旬までは
I Loveしずおか協議会による
「イルミネーション」が毎夜点灯し、
街角緑地を暖かく華やかに照らし出します。
「三保松原と清水港」
駿河の海の 潮風に
吹かれ 誘われ 来るものは
衣ひらひら 舞う天女
オレンジ色の サポーター
海を渡って 大型船
ひょいと顔出す 富士の山
ぶらっと行かざあ 清水港
(説明)
羽衣伝説で名高い羽衣の松を中心に、
美しい富士山を眺望できる景勝地「三保松原」は2013年、
「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産のひとつとして
「世界文化遺産」に登録。
「清水港」は、三保半島を天然の防波堤として古来より栄えてきた良港。
1899年に開港場、1952年に特定重要港湾に指定。
1999年には開港100周年を記念して、
マリンターミナル、
マリンパーク、
エスパルスドリームプラザを整備し、
2002年からは西伊豆の土肥港まで駿河湾フェリーを運航。
1990年に客船誘致委員会を設立して
誘致活動に取り組んだ結果、
2017年度は36隻の客船の寄港が予定されています。
「久能山東照宮といちご海岸通り」
石の階段(きざはし) 幾曲がり(いくまがり)
阻路(そばぢ)もかすむ 久能山
駿河の海を 見下ろして
英雄ここに 眠るかや
工(たくみ)凝らせる 鑿(のみ)の跡
眩き宮(まばゆきみやい) 日に映えて
葵の紋の 輝ける
甍(いらか)ぞ見ゆる 木(こ)がくれに
静岡県郷土歌集(昭和20年 静岡県教育会)より
(説明)
有度山の一峰、久能山の山頂には、
天台宗寺院「補陀落山久能寺」がありました。
1568年に駿河へ侵攻した武田信玄は
久能寺を移転させて(現・鉄舟寺)、山城を築きました。
1582年、久能山は徳川家康公の手に。
家康公は亡くなる直前、家臣たちに
「遺骸は久能山に埋葬すること」を遺命として託されました。
久能山東照宮の壮麗な社殿は、
中井大和守正清が造営し、
2010年に本殿・石の間・拝殿が国宝に指定。
1896年、川島常吉氏は、
松平健雄宮司から託された苺苗を玉石の間に植え、
石の輻射熱で苺を栽培することに成功。
国道150号「いちご海岸通り」沿いの苺農園は1月~5月、
苺狩りを楽しむ人々で賑わいます。
「丸子の春」
安倍川越えて わけ入れば
ぽつぽつ光る 梅の花
宇津の山辺の うつつにも
夢にも落ちる 日の光
客引きに袖 掴まれて
お茶の香りと 十団子
しょせんしがない 膝栗毛
今宵は丸子で 草枕
(説明)
丸子は、古くからの宿場で、
家康公が改めて宿場を設置すると、
日本橋から20番目の宿場となりました。
丁子屋の創業は1596年。
庶民が旅に出かけるようになった元禄以降、
松尾芭蕉の俳句、
十返舎一九の本、
歌川広重の浮世絵などで
「名物とろろ汁」は広く知られました。
吐月峰柴屋寺は、
今川氏に仕えた連歌師・宗長ゆかりの寺で、
風雅な庭園は国の名勝と史跡に指定。
丸子宿と岡部宿の間に位置する宇津ノ谷峠は、
東海道の難所のひとつで
「伊勢物語」に描かれて歌枕となりました。
レンガ造の明治トンネルは、
国の登録有形文化財。
駿府匠宿は、
静岡の伝統工芸を体験できる施設として
1999年にオープンしました。
「有度の丘」
レッサーパンダに迎えられ
はしゃぐロッシーに一目ぼれ
動物園のはしっこの
洋館のベンチで一休み
ロダンの前で考えて
キャンパスで昔を振り返る
ここは草薙 赤い靴の
あの子も産まれた有度の丘
老いも若きも肉体の
極みに挑む情熱の
汗が染みこむスタジアム
ベーブルースの胸元に
沢村栄治の速球が
今もこだます野球場
ここは草薙 いにしえの
ヤマトタケルの血が騒ぐ
(説明)
有度は、古くからの歴史と
日本武尊にまつわる数々の伝説をもっています。
静岡電気鉄道(現在の静岡鉄道)は沿線開発に力を注ぎ、
1927年に狐ヶ崎遊園地、
1930年に静岡野球場をオープン。
静岡県は、
1957年に国民体育大会の開催が決定すると、
メインスタジアムとして草薙総合運動場を整備。
さらに1970年に静岡県立中央図書館を谷田に移転し、
1986年に隣接地に静岡県立美術館を開館、
1987年に静岡県立大学を開校。
最近では2013年に硬式野球場を改修し、
2015年に新体育館をオープン。
静岡市も1969年に日本平動物園を開園するなど、
文化とスポーツの拠点として、
内外から多くの人々が訪れています。
ポエム・造形:たたらなおきさん
https://www.facebook.com/naoki.tatara.5
写真撮影:榊原幸弘さん ㈲サイズ 代表取締役
http://psys-d.com/
Posted by 静岡商工会議所広報室 at 18:29│Comments(0)
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